Creater
作り手を知る

深海産業 – 棕櫚(しゅろ)のある暮らしを未来へ
和歌山から、棕櫚と生きる 和歌山の町工場で、棕櫚を使った箒やたわしを製造している深海産業。専務の深海さんは、物流会社での勤務を経て家業に戻り、「もう1本の柱」をつくるため、新たなものづくりに挑戦を始めました。 ■ 消えゆく職人技を、この手でつなぐ 原点は、先代が縄を手作りしていた頃の記憶と、この地域に残る職人たちの存在。全国を回り職人と語らう中で、「後継者がいない」「産業が消えかけている」という現実に直面。深海さんは、地域に根付く棕櫚製品を、現代に合う形で甦らせることを決意します。 ■ 初回30本、全返品からの再出発 先代職人の道具を分解し、作り方を学びながら挑んだ初の棕櫚箒。しかし初回納品30本は、すべて繊維が抜ける不良で返品。それでも諦めず、独自の製法を確立し、クレームゼロの商品へ進化させました。見た目は伝統を守り、中身は耐久性と使い心地を追求しています。 ■ 「この人が作るなら、使ってみたい」 深海さんが大切にしているのは「人を知ってもらうこと」。職場はまるで中学校の教室のように賑やかで、年齢も経歴も違う仲間が助け合いながら働きます。その温かい関係性が、製品の魅力をさらに引き立てています。 ■ 棕櫚を、もっと自由に、もっと世界へ 棕櫚は「たわし」では知っていても、原料として知る人は少ない素材。若い世代にも届くデザインや価格の商品を生み出し、「SHURO-BOKI(棕櫚箒)」を、すき焼きや日本刀のように世界中で通じる言葉にすることを目指しています。 ■ 守るだけじゃなく、進化させる 「伝統をただ守るのではなく、今の暮らしにフィットする形に変える。そのうえで“かっこいい”と思ってもらえるものを発信していきたい」と深海さんは語ります。 棕櫚のある暮らしは、静かで心地よい時間をくれる。深海産業は、その価値を未来へと手渡していく担い手です。

白浜から、100年続くブランドを目指して。——アトリエ「シュエットドール」に宿る手仕事の哲学
和歌山県・白浜町の海辺に佇む革小物工房「シュエットドール」。代表の真鍋さんが「趣味が仕事」と語るそのアトリエでは、失われゆく技術を丁寧に受け継ぎながら、日々こだわりの製品が生まれています。 素材の選び方から仕上げの磨きまで、一切の妥協を許さないクラフトマンシップ。そんな真鍋さんと職人たちの想いを紡ぐアトリエの姿をお届けします。 海のそばのアトリエから、白浜発メゾンブランドを目指す 「自分たちが本当に欲しいもの」から生まれる製品 クラフトマンたちの多様な背景と、共通する信念 目指すのは100年後も続くブランド 海のそばのアトリエから、白浜発メゾンブランドを目指す 「シュエットドール」は、美しい白浜の海の近くにある小さな工房。代表・真鍋さんの原点は、会社員時代に始めた“趣味の革小物づくり”。現在のアトリエは、おばあさまが文具店を営んでいた建物を何度もリノベーションして生まれ変わらせた場所です。 「自分たちが本当に欲しいもの」から生まれる製品 量産を前提としたものづくりではなく、自分たちの欲しいものを形にすることを第一に。時に常識から外れる素材の使い方や作り方も辞さず、お客様が手にする部分にはすべて丁寧な磨きをかける。そんな妥協のない手仕事が、「シュエットドール」の製品には込められています。 クラフトマンたちの多様な背景と、共通する信念 真鍋さんとともに働くのは、移住してきた2名の職人たち。元パティシエと、新卒で職人の道を選んだ若者という異色の経歴を持つ2人です。共通しているのは、「楽しく、でも誠実に」モノづくりに向き合う姿勢。「私たちが笑顔で働いていたら、お客さんもきっと来てくれると思う」と真鍋さんは語ります。 目指すのは100年後も続くブランド 「2026年で10年。でも、本当に目指しているのは100年続くブランドなんです」そう語る真鍋さんの目には、遠くを見据えるまなざしと、今目の前の手仕事に真剣に向き合う職人の情熱が宿っていました。 「妥協しないからこそ、手に取ったときに伝わるものがある」——それがシュエットドールの革小物です。真鍋さんと職人たちが紡ぐ、手と心のこもった逸品を、ぜひ一度、あなたの手で確かめてみてください。

「人にも土にも虫にも優しいお茶」——豊緑園・森本さんが届ける、自然と暮らしに寄り添う一杯
宮崎県新富町で1937年に創業した茶農家「豊緑園」。現在は3代目・森本さんが中心となり、有機JAS認証を受けた無農薬・無化学肥料のオーガニック茶づくりに取り組んでいます。 ただ“安心”なだけではなく、畑ごとの個性を生かした「茶畑めぐり」シリーズや、体験型のサロン運営など、自然と人の関係性に寄り添うお茶のあり方を模索しています。 土と虫と共に生きる。除草も駆除も、すべて手作業 畑ごとに違う味を楽しむ「茶畑めぐり」 飲むだけでなく、“整う時間”を届けたい ホタルが飛び、ヤマドリが訪れる茶畑から 土と虫と共に生きる。除草も駆除も、すべて手作業 豊緑園のお茶づくりは、自然との共生が前提です。農薬や化学肥料は一切使わず、除草も害虫の駆除もできる限り手作業で行います。草がよく伸びる春から夏にかけては、毎朝夜明けとともに作業を開始する日々。「大変だけど、それでもやる意味があるんです」と森本さんは静かに語ります。 畑ごとに違う味を楽しむ「茶畑めぐり」 豊緑園には7つの茶園があり、それぞれで異なる品種を育てています。森本さんはこの畑ごとの味わいの違いや背景にあるストーリーを「茶畑めぐり」というブランドで発信中。ただのお茶ではなく、“土地の表情”を味わってもらうことを目指しています。 飲むだけでなく、“整う時間”を届けたい 森本さんが目指すのは、安心・安全という枠を超えた“心の豊かさ”を届けるお茶。「お茶って、ただ飲むだけじゃなくて、心が整う時間をくれる存在だと思うんです」と話します。その言葉を体現するように、茶畑での体験イベントや、ティーペアリングを楽しめる「サロンドテもりもっ茶」などの活動も展開しています。 ホタルが飛び、ヤマドリが訪れる茶畑から 豊緑園の茶畑には、夏になるとホタルが飛び交い、ヤマドリの姿も見られるといいます。そんな自然の恵みのなかで育てられたお茶には、森本さんの人柄と、生き物たちとの共生の物語が染み込んでいます。 手間を惜しまず、自然と丁寧に向き合う森本さんのお茶づくり。その一杯には、心を整え、暮らしをやさしく包み込む力があります。「人にも土にも虫にも優しい」——そんな言葉がそのまま体現された豊緑園のお茶を、ぜひ味わってみてください。

「最後まで美味しくしたかったんです」——COZY farm・長友さんが育む、“せとか”と真っ直...
宮崎市清武町の山あいにある「COZY farm」は、“柑橘の女王”とも呼ばれる「せとか」を育てる農家。三代目の長友さんは、かつて全国を飛び回る営業マンでしたが、家業を継ぎ、畑仕事の日々へ。 手間も時間もかかる“せとか”に真正面から向き合い、その魅力をもっと広く届けたいと、加工品開発にも挑戦しています。農業を「趣味みたいなもの」と語る長友さんの、肩の力が抜けた中にある真剣な姿勢が印象的です。 営業マンから農家へ。三代目のUターン物語 わがままで繊細。だからこそ面白い“せとか”という果実 手塩にかけた果実を、もっと身近に。加工品への挑戦 「農業は趣味みたいなもの」——だから楽しく、真剣に 営業マンから農家へ。三代目のUターン物語 現在COZY farmを継ぐ長友さんは、もともと営業職として全国を飛び回る日々を送っていました。転機は、家業をどうするかという問いに向き合ったとき。「やってみようかな」という素直な気持ちから農家へ転身。今では60年以上続く畑を受け継ぎ、“せとか”の栽培に情熱を注いでいます。 わがままで繊細。だからこそ面白い“せとか”という果実 せとかは、驚くほどジューシーで香り高く、まろやかな甘さが特徴の高級柑橘。けれど育てるのは一筋縄ではいきません。実をつけすぎると翌年まったく実らないこともあるという“気まぐれな果実”。「剪定してるときが一番好きなんですよ。木と会話してる気がして」と話す長友さんは、季節や一本一本の木に寄り添いながら、せとかと向き合い続けています。 手塩にかけた果実を、もっと身近に。加工品への挑戦 そんなせとかの魅力をもっと広く届けたいと考え、長友さんは加工品づくりに着手。「せとかシロップ」などの商品は、炭酸で割ればジュースに、ワインに加えれば即席サングリアにと、さまざまな楽しみ方ができます。「果実だけじゃなく、最後まで美味しくして届けたい」——その想いが商品開発の原動力です。 「農業は趣味みたいなもの」——だから楽しく、真剣に 長友さんは農業のことを毎日やっても飽きない「趣味みたいなもの」と軽やかに笑います。でも、その言葉の裏には、自分の手で育て、自分の言葉で届けるという、誠実な仕事ぶりがあります。畑での表情も、瓶詰めに向き合う背中も、どこまでも真っ直ぐです。 せとかという繊細な果実に寄り添い、加工品という新たなかたちでその魅力を伝えるCOZY farmの取り組み。そこには、“美味しい”を届けることに対する一貫したまなざしと、自分らしく働くことへの誇りがありました。今日の食卓に、一本のシロップから始まる豊かさをどうぞ。

「100年続ける理由がちゃんとある。」——カネナ醤油・長友さんが継いだ蔵と、新しい挑戦
宮崎市青島に根を下ろし、140年近く家族で醤油をつくり続けてきた「カネナ醤油」。4代目を継いだのは、東京や海外で金融業界に携わっていた長友さん。父の病を機に帰郷し、蔵を受け継ぐ決断をしました。 「惰性ではできない仕事」と語る長友さんは、伝統を守りながらも新しい商品開発にも挑戦しています。支えとなったのは、家族の言葉と地元の味への信念でした。 青島の地で、記録も残らず続いてきた蔵 金融の道から一転、覚悟を決めて家業を継ぐ 地元に根付く“やさしい甘さ”が生き残った理由 伝統を守りながらも「遊び心」を忘れずに 青島の地で、記録も残らず続いてきた蔵 創業からおよそ140年。しかし記録も写真もほとんど残っていないという「カネナ醤油」は、まさに“日々の積み重ね”だけで続いてきた家族蔵です。温暖な青島の気候のもとで、代々の手仕事が今の味を形づくっています。 金融の道から一転、覚悟を決めて家業を継ぐ 東京や海外で金融の世界に身を置いていた長友さん。醤油蔵を継ぐつもりはまったくなかったと言います。そんな彼女を動かしたのは、父の急病と、夫からの言葉。「潰すのは1日、立て直すのはまた100年かかる」——この言葉が背中を押しました。 地元に根付く“やさしい甘さ”が生き残った理由 カネナの醤油は、宮崎らしい甘みが特徴。驚くほど甘いと感じる人もいる一方で、一度ハマると抜け出せない味でもあります。この“違い”こそが、小さな蔵が生き残ってきた理由。通販でも熱心なファンが付き、リピート購入が続いています。 伝統を守りながらも「遊び心」を忘れずに 製造環境は決して楽ではなく、特に夏場は温度管理に苦労するそうです。それでも「惰性ではできない仕事ですから」と静かに笑う長友さん。現在はへべすを使った胡椒や、手づくり味噌キットなど、新しい商品開発にも取り組んでいます。「守るだけじゃなく、遊び心も大事にしたい」という言葉に、未来へのまなざしが見えました。 100年続いてきたのは偶然ではなく、理由がある。そしてそれを次の世代へつなぐには、今を生きる者の覚悟と行動が欠かせない。長友さんが青島で見せるのは、まさにその実践です。醤油を通して、地域とともに生きるという選択。その一滴に、ぜひ触れてみてください。

「20年間、パンのことばかり考えてます」——アシェンテ・佐藤さんが追い求める、パンと暮らしの距離感
宮崎市大橋にある「アシェンテ」は、パン職人ではなかった佐藤さんが、一から修業を積んで立ち上げたベーカリー。東京のコーヒーメーカー勤務からUターンし、実家のスーパーの一角でパン屋を始めたのがきっかけでした。 毎年フランスに通いながら学び続けるパンへの探究心と、「食べることの楽しさ」を伝えたいという思いが詰まった、気取らないけれど奥深いパンを焼いています。 はじまりは、「素人が好きで焼いていた」パン 焼けなかった自分が、毎年フランスへ通うようになるまで 小麦粉20種類以上、自家製酵母。パンづくりは毎日が実験 食卓になじむパン、そして“食べる楽しさ”を伝えたい はじまりは、「素人が好きで焼いていた」パン 佐藤さんはもともとパン職人ではなく、東京でコーヒーメーカーに勤めていた会社員。パンは趣味で焼いていただけだったといいます。転機が訪れたのは、実家のスーパーの一角にパン屋を開く話が持ち上がったとき。「戻ってこないか?」という父の一言に背中を押され、宮崎に帰ることを決意しました。 焼けなかった自分が、毎年フランスへ通うようになるまで 「ほんとに最初は全然できなかったんです。パートさんの方がよっぽどうまかった」と、当時を振り返る佐藤さん。それでも、東京の師匠のもとで一からパン作りを学び、「もっと知りたい」との思いから、毎年フランスを訪れるように。地方の小さな町のパン屋まで足を運び、現地の人々の生活に溶け込んだ“パンのある暮らし”を体感し続けています。 小麦粉20種類以上、自家製酵母。パンづくりは毎日が実験 「アシェンテ」では、小麦粉は20種類以上を使い分け、自家製酵母も仕込み、素材からこだわったパンづくりを行っています。「バゲットが一番手ごわいですね。昨日と今日で、ぜんぜん言うことが違うんです」と笑いながらも、その真剣な目には職人としての覚悟がにじみます。 食卓になじむパン、そして“食べる楽しさ”を伝えたい アシェンテのパンは、どこか素朴で、毎日の食卓に自然になじむ存在。惣菜と一緒に食べられる食事パンや、焼き立てのクロワッサン、あんぱんなど、ラインナップは親しみやすく、それでいて確かな技術と愛情が感じられます。そして今、佐藤さんが思い描くもうひとつの夢は、子どもたちに“食べることの楽しさ”を伝えること。パンを通じて、食の豊かさを未来につなごうとしています。 20年間、パンのことばかり考えてきたという佐藤さんの言葉には、情熱と誠実さが詰まっています。生活の中にそっと寄り添うパン、けれどその背景には、積み重ねられた研鑽と想いがあります。アシェンテのパンを手に取るとき、きっとその温度まで感じられるはずです。

「酢だけになっても、これだけは残したかった。」——石川工業が守り抜く、家族の味と発酵の技術
宮崎市佐土原町にある石川工業は、創業から100年近く続く老舗の食酢製造所。かつては味噌や醤油、炭酸水なども手がけていましたが、時代とともに事業は変化し、今では「酢」ひとつに絞って製造を続けています。 伝統の製法と、家族で守るものづくり。代々受け継がれてきた味の背景には、現社長の静かな覚悟と手間を惜しまぬ仕事ぶりがあります。 ゆっくり3ヶ月かけて発酵させる、昔ながらの酢 味噌も醤油もやめて、残ったのは酢だけだった コロナ禍、父の急逝——孤独な中での継承 「うちの酢は、本当においしいから」——照れながらも語る誇り ゆっくり3ヶ月かけて発酵させる、昔ながらの酢 石川工業の酢は、熟成させた酒かすを原料に、じっくり3ヶ月かけて発酵させて作られます。酢は“発酵が命”とされる繊細な食品。毎日タンクの温度を何度も確認し、金膜の状態に目を凝らす日々が続きます。急いで作れるものではないからこそ、作り手の“待つ力”と“見守るやさしさ”が、味を左右するのです。 味噌も醤油もやめて、残ったのは酢だけだった 創業当初は、味噌や醤油、炭酸水まで製造していた石川工業。しかし、時代の流れとともに徐々に事業は縮小し、残ったのは「酢」だけ。それでも、この酢だけは絶やさず守り抜かれてきました。時代が変わっても、家族とともに“酢だけは続けよう”という意志が継がれています。 コロナ禍、父の急逝——孤独な中での継承 現社長がこの工場を継いだのは、まさにコロナ禍の真っただ中。父の急逝を受け、突然経営と製造を一人で背負うことに。営業先の飲食店が閉まり、売上は激減。それでも「味は絶対に変えたくない」と、製法を守り続けました。製造も営業も一人でこなしながら、日々酢づくりと向き合っています。 「うちの酢は、本当においしいから」——照れながらも語る誇り 「正直、話すのは得意じゃない」と語る現社長。しかし、その笑顔には誇りがにじみます。「うちの酢は本当においしい。だから、一度味わってほしいんです」と話す姿には、職人としての芯の強さが感じられます。味は少しずつ県外にも届き始めていますが、やはり一番の願いは、「地元・宮崎の人に使ってもらうこと」だといいます。 石川工業の酢には、家族の歴史と、変わらない信念が詰まっています。華やかではなくても、毎日コツコツと守られてきた味。そのやさしく、まろやかな酢を、ぜひ一度ご家庭の料理に加えてみてください。ふと心が和らぐ、そんな味わいがきっと広がります。