Creater
作り手を知る
白浜から、100年続くブランドを目指して。——アトリエ「シュエットドール」に宿る手仕事の哲学
和歌山県・白浜町の海辺に佇む革小物工房「シュエットドール」。代表の真鍋さんが「趣味が仕事」と語るそのアトリエでは、失われゆく技術を丁寧に受け継ぎながら、日々こだわりの製品が生まれています。 素材の選び方から仕上げの磨きまで、一切の妥協を許さないクラフトマンシップ。そんな真鍋さんと職人たちの想いを紡ぐアトリエの姿をお届けします。 海のそばのアトリエから、白浜発メゾンブランドを目指す 「自分たちが本当に欲しいもの」から生まれる製品 クラフトマンたちの多様な背景と、共通する信念 目指すのは100年後も続くブランド 海のそばのアトリエから、白浜発メゾンブランドを目指す 「シュエットドール」は、美しい白浜の海の近くにある小さな工房。代表・真鍋さんの原点は、会社員時代に始めた“趣味の革小物づくり”。現在のアトリエは、おばあさまが文具店を営んでいた建物を何度もリノベーションして生まれ変わらせた場所です。 「自分たちが本当に欲しいもの」から生まれる製品 量産を前提としたものづくりではなく、自分たちの欲しいものを形にすることを第一に。時に常識から外れる素材の使い方や作り方も辞さず、お客様が手にする部分にはすべて丁寧な磨きをかける。そんな妥協のない手仕事が、「シュエットドール」の製品には込められています。 クラフトマンたちの多様な背景と、共通する信念 真鍋さんとともに働くのは、移住してきた2名の職人たち。元パティシエと、新卒で職人の道を選んだ若者という異色の経歴を持つ2人です。共通しているのは、「楽しく、でも誠実に」モノづくりに向き合う姿勢。「私たちが笑顔で働いていたら、お客さんもきっと来てくれると思う」と真鍋さんは語ります。 目指すのは100年後も続くブランド 「2026年で10年。でも、本当に目指しているのは100年続くブランドなんです」そう語る真鍋さんの目には、遠くを見据えるまなざしと、今目の前の手仕事に真剣に向き合う職人の情熱が宿っていました。 「妥協しないからこそ、手に取ったときに伝わるものがある」——それがシュエットドールの革小物です。真鍋さんと職人たちが紡ぐ、手と心のこもった逸品を、ぜひ一度、あなたの手で確かめてみてください。
「人にも土にも虫にも優しいお茶」——豊緑園・森本さんが届ける、自然と暮らしに寄り添う一杯
宮崎県新富町で1937年に創業した茶農家「豊緑園」。現在は3代目・森本さんが中心となり、有機JAS認証を受けた無農薬・無化学肥料のオーガニック茶づくりに取り組んでいます。 ただ“安心”なだけではなく、畑ごとの個性を生かした「茶畑めぐり」シリーズや、体験型のサロン運営など、自然と人の関係性に寄り添うお茶のあり方を模索しています。 土と虫と共に生きる。除草も駆除も、すべて手作業 畑ごとに違う味を楽しむ「茶畑めぐり」 飲むだけでなく、“整う時間”を届けたい ホタルが飛び、ヤマドリが訪れる茶畑から 土と虫と共に生きる。除草も駆除も、すべて手作業 豊緑園のお茶づくりは、自然との共生が前提です。農薬や化学肥料は一切使わず、除草も害虫の駆除もできる限り手作業で行います。草がよく伸びる春から夏にかけては、毎朝夜明けとともに作業を開始する日々。「大変だけど、それでもやる意味があるんです」と森本さんは静かに語ります。 畑ごとに違う味を楽しむ「茶畑めぐり」 豊緑園には7つの茶園があり、それぞれで異なる品種を育てています。森本さんはこの畑ごとの味わいの違いや背景にあるストーリーを「茶畑めぐり」というブランドで発信中。ただのお茶ではなく、“土地の表情”を味わってもらうことを目指しています。 飲むだけでなく、“整う時間”を届けたい 森本さんが目指すのは、安心・安全という枠を超えた“心の豊かさ”を届けるお茶。「お茶って、ただ飲むだけじゃなくて、心が整う時間をくれる存在だと思うんです」と話します。その言葉を体現するように、茶畑での体験イベントや、ティーペアリングを楽しめる「サロンドテもりもっ茶」などの活動も展開しています。 ホタルが飛び、ヤマドリが訪れる茶畑から 豊緑園の茶畑には、夏になるとホタルが飛び交い、ヤマドリの姿も見られるといいます。そんな自然の恵みのなかで育てられたお茶には、森本さんの人柄と、生き物たちとの共生の物語が染み込んでいます。 手間を惜しまず、自然と丁寧に向き合う森本さんのお茶づくり。その一杯には、心を整え、暮らしをやさしく包み込む力があります。「人にも土にも虫にも優しい」——そんな言葉がそのまま体現された豊緑園のお茶を、ぜひ味わってみてください。
「最後まで美味しくしたかったんです」——COZY farm・長友さんが育む、“せとか”と真っ直...
宮崎市清武町の山あいにある「COZY farm」は、“柑橘の女王”とも呼ばれる「せとか」を育てる農家。三代目の長友さんは、かつて全国を飛び回る営業マンでしたが、家業を継ぎ、畑仕事の日々へ。 手間も時間もかかる“せとか”に真正面から向き合い、その魅力をもっと広く届けたいと、加工品開発にも挑戦しています。農業を「趣味みたいなもの」と語る長友さんの、肩の力が抜けた中にある真剣な姿勢が印象的です。 営業マンから農家へ。三代目のUターン物語 わがままで繊細。だからこそ面白い“せとか”という果実 手塩にかけた果実を、もっと身近に。加工品への挑戦 「農業は趣味みたいなもの」——だから楽しく、真剣に 営業マンから農家へ。三代目のUターン物語 現在COZY farmを継ぐ長友さんは、もともと営業職として全国を飛び回る日々を送っていました。転機は、家業をどうするかという問いに向き合ったとき。「やってみようかな」という素直な気持ちから農家へ転身。今では60年以上続く畑を受け継ぎ、“せとか”の栽培に情熱を注いでいます。 わがままで繊細。だからこそ面白い“せとか”という果実 せとかは、驚くほどジューシーで香り高く、まろやかな甘さが特徴の高級柑橘。けれど育てるのは一筋縄ではいきません。実をつけすぎると翌年まったく実らないこともあるという“気まぐれな果実”。「剪定してるときが一番好きなんですよ。木と会話してる気がして」と話す長友さんは、季節や一本一本の木に寄り添いながら、せとかと向き合い続けています。 手塩にかけた果実を、もっと身近に。加工品への挑戦 そんなせとかの魅力をもっと広く届けたいと考え、長友さんは加工品づくりに着手。「せとかシロップ」などの商品は、炭酸で割ればジュースに、ワインに加えれば即席サングリアにと、さまざまな楽しみ方ができます。「果実だけじゃなく、最後まで美味しくして届けたい」——その想いが商品開発の原動力です。 「農業は趣味みたいなもの」——だから楽しく、真剣に 長友さんは農業のことを毎日やっても飽きない「趣味みたいなもの」と軽やかに笑います。でも、その言葉の裏には、自分の手で育て、自分の言葉で届けるという、誠実な仕事ぶりがあります。畑での表情も、瓶詰めに向き合う背中も、どこまでも真っ直ぐです。 せとかという繊細な果実に寄り添い、加工品という新たなかたちでその魅力を伝えるCOZY farmの取り組み。そこには、“美味しい”を届けることに対する一貫したまなざしと、自分らしく働くことへの誇りがありました。今日の食卓に、一本のシロップから始まる豊かさをどうぞ。
「100年続ける理由がちゃんとある。」——カネナ醤油・長友さんが継いだ蔵と、新しい挑戦
宮崎市青島に根を下ろし、140年近く家族で醤油をつくり続けてきた「カネナ醤油」。4代目を継いだのは、東京や海外で金融業界に携わっていた長友さん。父の病を機に帰郷し、蔵を受け継ぐ決断をしました。 「惰性ではできない仕事」と語る長友さんは、伝統を守りながらも新しい商品開発にも挑戦しています。支えとなったのは、家族の言葉と地元の味への信念でした。 青島の地で、記録も残らず続いてきた蔵 金融の道から一転、覚悟を決めて家業を継ぐ 地元に根付く“やさしい甘さ”が生き残った理由 伝統を守りながらも「遊び心」を忘れずに 青島の地で、記録も残らず続いてきた蔵 創業からおよそ140年。しかし記録も写真もほとんど残っていないという「カネナ醤油」は、まさに“日々の積み重ね”だけで続いてきた家族蔵です。温暖な青島の気候のもとで、代々の手仕事が今の味を形づくっています。 金融の道から一転、覚悟を決めて家業を継ぐ 東京や海外で金融の世界に身を置いていた長友さん。醤油蔵を継ぐつもりはまったくなかったと言います。そんな彼女を動かしたのは、父の急病と、夫からの言葉。「潰すのは1日、立て直すのはまた100年かかる」——この言葉が背中を押しました。 地元に根付く“やさしい甘さ”が生き残った理由 カネナの醤油は、宮崎らしい甘みが特徴。驚くほど甘いと感じる人もいる一方で、一度ハマると抜け出せない味でもあります。この“違い”こそが、小さな蔵が生き残ってきた理由。通販でも熱心なファンが付き、リピート購入が続いています。 伝統を守りながらも「遊び心」を忘れずに 製造環境は決して楽ではなく、特に夏場は温度管理に苦労するそうです。それでも「惰性ではできない仕事ですから」と静かに笑う長友さん。現在はへべすを使った胡椒や、手づくり味噌キットなど、新しい商品開発にも取り組んでいます。「守るだけじゃなく、遊び心も大事にしたい」という言葉に、未来へのまなざしが見えました。 100年続いてきたのは偶然ではなく、理由がある。そしてそれを次の世代へつなぐには、今を生きる者の覚悟と行動が欠かせない。長友さんが青島で見せるのは、まさにその実践です。醤油を通して、地域とともに生きるという選択。その一滴に、ぜひ触れてみてください。
「20年間、パンのことばかり考えてます」——アシェンテ・佐藤さんが追い求める、パンと暮らしの距離感
宮崎市大橋にある「アシェンテ」は、パン職人ではなかった佐藤さんが、一から修業を積んで立ち上げたベーカリー。東京のコーヒーメーカー勤務からUターンし、実家のスーパーの一角でパン屋を始めたのがきっかけでした。 毎年フランスに通いながら学び続けるパンへの探究心と、「食べることの楽しさ」を伝えたいという思いが詰まった、気取らないけれど奥深いパンを焼いています。 はじまりは、「素人が好きで焼いていた」パン 焼けなかった自分が、毎年フランスへ通うようになるまで 小麦粉20種類以上、自家製酵母。パンづくりは毎日が実験 食卓になじむパン、そして“食べる楽しさ”を伝えたい はじまりは、「素人が好きで焼いていた」パン 佐藤さんはもともとパン職人ではなく、東京でコーヒーメーカーに勤めていた会社員。パンは趣味で焼いていただけだったといいます。転機が訪れたのは、実家のスーパーの一角にパン屋を開く話が持ち上がったとき。「戻ってこないか?」という父の一言に背中を押され、宮崎に帰ることを決意しました。 焼けなかった自分が、毎年フランスへ通うようになるまで 「ほんとに最初は全然できなかったんです。パートさんの方がよっぽどうまかった」と、当時を振り返る佐藤さん。それでも、東京の師匠のもとで一からパン作りを学び、「もっと知りたい」との思いから、毎年フランスを訪れるように。地方の小さな町のパン屋まで足を運び、現地の人々の生活に溶け込んだ“パンのある暮らし”を体感し続けています。 小麦粉20種類以上、自家製酵母。パンづくりは毎日が実験 「アシェンテ」では、小麦粉は20種類以上を使い分け、自家製酵母も仕込み、素材からこだわったパンづくりを行っています。「バゲットが一番手ごわいですね。昨日と今日で、ぜんぜん言うことが違うんです」と笑いながらも、その真剣な目には職人としての覚悟がにじみます。 食卓になじむパン、そして“食べる楽しさ”を伝えたい アシェンテのパンは、どこか素朴で、毎日の食卓に自然になじむ存在。惣菜と一緒に食べられる食事パンや、焼き立てのクロワッサン、あんぱんなど、ラインナップは親しみやすく、それでいて確かな技術と愛情が感じられます。そして今、佐藤さんが思い描くもうひとつの夢は、子どもたちに“食べることの楽しさ”を伝えること。パンを通じて、食の豊かさを未来につなごうとしています。 20年間、パンのことばかり考えてきたという佐藤さんの言葉には、情熱と誠実さが詰まっています。生活の中にそっと寄り添うパン、けれどその背景には、積み重ねられた研鑽と想いがあります。アシェンテのパンを手に取るとき、きっとその温度まで感じられるはずです。
「自分が気に入るものを、丁寧に」——まるはち・中城さんが届ける、やさしい焼き菓子
「まるはち」は、宮崎市芳士にある予約制のお菓子屋さん。管理栄養士の中城さんが、自分の“好き”をかたちにした焼き菓子は、無添加で安心、そして見た目もかわいらしいと人気を集めています。 母と娘の二人三脚で営む小さなお店には、お菓子づくりへのまっすぐな気持ちと、日々の感謝が込められています。 「趣味で作っていたお菓子」が仕事になった 添加物を使わず、安心して食べられる焼き菓子 「自分がかわいいと思うもの」を届けたい 「お菓子作りを嫌いにならないこと」が、いちばん大切 「趣味で作っていたお菓子」が仕事になった お菓子づくりが好きで、自分のために焼いていたという中城さん。Instagramに投稿していたところ、「購入できますか?」という声が届くようになり、やがて予約販売を開始。少しずつファンが増え、イベント出展を重ねるうちに、お店のかたちができていきました。 添加物を使わず、安心して食べられる焼き菓子 まるはちのお菓子はすべて、添加物不使用。安心して食べてもらえるよう、素材にも気を配り、一つひとつ丁寧に焼き上げています。中城さんが担当するのは焼き菓子全般。スコーンやチーズまんじゅうは、お母様が担当。世代を超えたやさしさが詰まった、ほっとする味わいです。 「自分がかわいいと思うもの」を届けたい 商品パッケージにも中城さんのセンスが光ります。「自分が気に入るかわいらしいものを」という思いから、包装もデザインもひとつひとつ吟味。手に取ったときの喜びも含めて、“まるはちらしさ”を届けています。 「お菓子作りを嫌いにならないこと」が、いちばん大切 「価格設定も、量産も難しい。でも、やっぱりお菓子作りが好きなんです」と中城さんは笑います。「感謝の気持ちを忘れずに、お菓子作りを嫌いにならないこと」。そんな信念が、やさしい味となって、今日もお客様のもとへ届いています。 暮らしの中の“ほっと一息”に寄り添う、まるはちのお菓子。その背景には、「好きなことを、丁寧に続ける」という真摯な姿勢があります。やさしい味わいと愛らしい見た目に、きっとあなたも心をほどかれるはずです。
「ジャリパンを残したい」——地元の味を継ぐ、ミカエル堂・大津さんの決意
宮崎のソウルフードとも言える「ジャリパン」。その元祖とされる「ミカエル堂」は、一度は2023年にその歴史に幕を下ろしました。 しかし、地元を離れていた大津さんが「ジャリパンがなくなるのはイヤだ」と強く感じ、事業を継承。2024年に新たなスタートを切りました。カンカン通り商店街の一角で再び灯った看板には、受け継がれた味と想いが詰まっています。 地元の味を守りたい——Uターンしての決断 「ありがとう」の言葉が、原動力になる 子育ても、事業も——奮闘する日々のなかで 地元の味を守りたい——Uターンしての決断 「ミカエル堂」三代目・都成さんが事業継承先を探していたとき、大津さんは東京からのUターンを決意。「自分がパン屋じゃなかったことに不安はあったけれど、地元・宮崎からジャリパンがなくなるのは寂しい」と強く思ったと語ります。パン作りは未経験からのスタート。都成さんのもとでゼロから技術を学び、2024年11月14日、「ミカエル堂」の看板を再び掲げました。 「ありがとう」の言葉が、原動力になる 店舗を再開してからというもの、経緯を知るお客様から「続けてくれてありがとう」と声をかけられることが多く、大津さんにとってそれが何よりのやりがいだといいます。ジャリパンは、ただのパンではなく、宮崎で育った人々の記憶の中にある特別な味。その味をもう一度手に取ることができる喜びが、確かに受け継がれているのです。 子育ても、事業も——奮闘する日々のなかで 小学生の子どもを育てながらの店舗運営は決して楽ではありません。それでも、大津さんは笑顔でパンを焼き続けています。その姿に、取材スタッフも自然と応援したくなりました。「ミカエル堂」は、ただ懐かしい味を復活させただけでなく、地域の人々と共に生きる、今の宮崎を象徴する存在としても注目されています。 「パン職人としてではなく、地元のファンとしてジャリパンを残したい」——そんな大津さんの想いと行動が、宮崎の味と記憶を未来へとつないでいます。老舗の味が、次の世代へ。あなたもぜひ一度、カンカン通りで“あの味”を手に取ってみてください。